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2023年12月07日

こじつけ先生の世相ナンチャッテ高座

こじつけ先生の世相ナンチャッテ高座その2
忠臣蔵を検証する
松の廊下刃傷は乱心が原因

 歴史・時代小説を乱読しているこじつけ先生は、忠臣蔵の吉良邸討ち入りの原因となった松の廊下刃傷事件はなぜ発生したのかについて、以前から疑問に思っていたので、師走の定番である忠臣蔵について今回の高座で考えたいとの口上。高座の始まり始まり。

 忠臣蔵=赤穂浪士討入りといえば、日本人なら誰でも知っている歴史上の大事件だ。大石がヒーローで、吉良が悪という日本人好みの話だ。
 忠臣蔵は二つの事件から成り立っている。「浅野刃傷事件」と「赤穂浪士復讐事件」だ。疑問は二点。
① 松の廊下刃傷事件は何故起きたのか。
② 大石は何故仇討ちをしたのか。
 この疑問を解決するために推理の旅に出よう。

吉良悪人は芝居の創作
 松の廊下刃傷事件は何故起きたのか。吉良悪人説でもいくつかの通説に分かれている。
㋑ 賄賂説・・・吉良が浅野に賄賂を要求したが断られ、浅野に嫌がらせをし、激怒させたとする説。嫌がらせの具体例として、
・金屏風を飾るべきところを墨絵と指示
・魚鳥料理を精進料理と指示
・畳替えすべきところをしなくていいと指示
などがあるが、これらはいずれも芝居のフィクションであり、事実ではない。かつて映画の忠臣蔵では「畳説」が取り上げられていたと小生は記憶している。
㋺ 怨恨説・・・原因は不明だが、浅野が吉良に怨恨感情を抱いており、それが当日松の廊下で爆発したとする説。
㋩ 塩田説・・・浅野家が開発した塩田製造法を吉良に教えなかったため対立したとする説。当時の塩田製造は自然条件に左右され、技術の差はなく、これが原因とは言えない。
これらの説はいずれも吉良悪人説が基にあるが、事実はどうであろうか。

ストレスから発作・乱心へ
 三河地方では、吉良は名君といわれ、悪人ではない。事実、堤防を築き、用水を開いて干拓し、領民に慕われていた。
 一方、浅野は短気と気まぐれの性格であり、年貢の取り立ては厳しく、領民は苦しんでいた。浅野家断絶と聞いて、領民は餅をついて喜んだといわれている。
 ㋑~㋩は根拠もなく、いかにも浅野長矩を悲劇のヒーローとするためのでっち上げである。
 そこで浮かび上がってきたのが「精神障害説」である。浅野長矩は短気で気まぐれの性格の上「つかえ」という精神分裂病が持病であった。勅使の接待役という重職や厳粛な儀礼のため、ストレスが重なって発作が起き、乱心して切りつけたというのが真相ではないかと作家の井沢元彦氏は著作「忠臣蔵 元禄十五年の反逆」(新潮社刊、平成元年頃初版)で結論付けていた。
 浅野家やその一族郎党の不幸は、この主君の乱心にある。吉良の責任ではない。いや、責任があるといえば、将軍綱吉の裁決(老中は乱心が原因だから処分の猶予を考えていたが、綱吉は乱心を認めず、即刻切腹を命じ、お家断絶とした)にあるといえよう。こうしてクライマックスの悲劇へと歴史は動いた。

主君は一代、お家は末代
 では何故大石蔵之助は吉良討入りを行ったのか。その真意は仇討ちなのか。
 大石は、浅野家にあっては家柄家老であり、実務を行う仕置家老と違って、普段は何もしないが、お家危急存亡のときに頼りになる存在だ。「主君は一代、お家は末代」というように大石にとって忠誠の対象は殿様個人ではなく、お家そのものだ。それ故、例えば殿様の金遣いが荒く、このままでは藩がつぶれてしまうとか、公儀へ謀反を企んでいてこのまま放っておけば取り潰しの運命しかないなどのとき、家柄家老は立ち上がって主君を押し込め、無理矢理隠居させて若殿を立てることもあるという。

幕府への抗議
 とまれ、話がそれてしまったが、大石はどう考え行動したのか。主君の刃傷は乱心が原因によるものであり、切腹はやむを得ないとしてもお家断絶は前例(似たような例が以前にもあり、そのときはお家断絶になっていない)からいっても間違った裁決だ。長矩の弟長広の処分(閉門)はおかしいとして、幕府に対し、お家再興の嘆願を繰り返し行った。
 しかし、幕府の考えは変わらず、長広は本家預かりとなり、大石の望みは絶たれた。ここにいたって仇討ちを主張する急進派を抑えきれず、討入りを決断した。その狙いは吉良を討つことによって綱吉に抗議をすることにあった。つまり、幕府が乱心を正気の行為とするなら、あれは刃傷ではなく、喧嘩だと考えようじゃないか。正気ならあんなところで斬りかかるはずがない。喧嘩なら喧嘩両成敗に従って、吉良も成敗されなければ片手落ちであり、幕府がそれをしないので代わって吉良を討つのは当然と考えて討入りを行ったのではないかと井沢氏は推理し、著作の中で「『それにしても可哀想なのは吉良ね』加奈がしみじみと言った。『本当だね。綱吉の身代わりにされたようなものだ。彼自身何の罪もないのに』」と文中の登場人物に語らせている。

家柄家老のような行動
 何分、元禄15年12月14日(西暦1703年1月30日)は320年前の話だ。真実は分からない。
 面白いと思ったのは、浅野と大石の関係だ。大石は浅野個人よりお家を優先した。これを現代の官公庁に当てはめると、公務労働者は住民に奉仕する立場にある。特定の個人や団体に奉仕したり、応援したりしてはいけない。職務遂行において住民誰にでも公平・公正でなくてはならない。トップや上級者が間違った指示や命令をするときは″家柄家老″のように行動できるだろうか。無理なことは無理と、できないことはできないと言えるだろうか。今の政権の暴走(国民の声を聴くことが大切といったのに)に誰が歯止めをかけるのか。歴史から何を学ぶのか。政治家一人一人に問いたいとこじつけ先生は思ったとさ。ではまた
*参考資料 井沢元彦「忠臣蔵 元禄十五年の反逆」(新潮社刊)


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