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mc1397

2023年06月28日

モノ申すオジサン物語

モノ申すオジサン物語パート2
「打たれ強く生きる」

モノ申すオジサンは、こころ旅の火野正平のごとく、今日もチャリオ君に乗って″非常勤出勤″。一説によると、定年でヒマを持て余し、時間つぶしに役所に出入りしているという説、いや正体は不動産業で何かオイシイ話はないかと情報を探りに来ている説など様々な風説。誰もその正体は分からないものの、実態は大卒で現役当時、バリバリ仕事をしていたサラリーマンが定年後、地域で時間を過ごす中、近所や町内との付き合いを通じて、様々な問題や課題があることに気付き、その解決策は行政にあり!と、一肌脱ぐつもりで行政(つまり役所)に出入りするようになったそうです。

例によって、ある課長氏の窓口へ。
「ヨッどうした。顔色が悪いぞ」
(顔色が悪いのはアンタが来たからだ)と課長氏は心に思いながら「やあ、いらっしゃい」。
「三枝の『新婚さんいらっしゃい』じゃあるまいし。三枝は世代交代で、異動というか、転進というか、交代したわな。もうチット気の利いたあいさつは言えんもんかね」とモノジーは言いつつ、窓口の椅子にドカッと座った。

 課長氏は嫌な顔をせずに、先だっても申し上げたとおり「面談は30分でお願いします。それ以上なると、不当要求に・・・」。
「分かった、分かった・そんなことせぇえんわ。安心しい。ところでな、職員で健康なのは二割だけだって聞いたが、お前さんは大丈夫か。最近の課長さんは昔と違って大変だってね。定年退職した、元インテリの連中が苦情や文句を言いに来てるんじゃないの」とモノジーは、自分のことは差し置いて、持論を展開し始める。

打たれ強く生きる
「昔は、課長と言やあ家長に通じて、そりゃあ権威は高かったもんよ。それが今は何だ。中間管理職化して、上からはああだ、こうだと言われるし、下の者は思うように動かんしなあ。毎日、胃の痛む日々だろう。しかしなぁ、そんなふうではチャットGDPとか生成AIが幅をきかす時代とやらについていけんわな。そう思って、今日はそんなお前さんのために勇気が出る本を持ってやってきたぞ」とバッグからポットと本を取り出した。
「そのポットはなんですか」と課長氏。
「まあ、いいからいいから。もう10時だ。お茶の時間だから、ここでコーシータイムだ。オレらみたいな定年退職者は、そうそう喫茶店でぜいたくもできねぇしな」とモノジーは、ポットのコーヒを、持参のティーカップに入れようとしたので、課長氏はあわてて「カウンターで飲食はダメですよ。飲むなら、1階のラウンジでお願いしますよ」と言うと、モノジーは「職員の皆さんは、熱中症対策でペットボトルをデスクで飲むのとちゃうの。それと同じよ。それとも市民はいかんと言うと、これは差別だぜ。と言いたいところだが、今日は、ペット論議で来たのとはちゃうので、アンタの顔を立てて飲むのは止めとくわ。ほらこれだ」とモノジーは、課長氏にやや黄ばんだような文庫本を渡した。昭和の時代に発行された文庫本。見たところ30年くらい前の本のようだ。
「城山三郎の『打たれ強く生きる』という文庫だ。この本の心掛け一代というところだ。城山が元NHKの鈴木アナウンサーに記憶力バツグンの秘訣を尋ねるところだ。ちょっと読むと『記憶しないと食って行けない。記憶することにくらしがかかっているのだと、昔から自分に言い聞かせてきましたので、ただ、それだけのことなんです。つまり、一にも二にも、プロとしての心掛けの問題なのだ。プロの碁打ちが無数の定石をおぼえこむのも、やはり、記憶、それにくらしがかかっているからではないか、というのだ。一にも二にも心掛け、心の在りようひとつ。それが積もれば、すさまじいほどの戦力になる』・・・いい言葉だろう」

配転は新しいはじまり
 モノジーの説明はまだ続く。(課長氏はこの局面をいかに凌ぐかを考えたが、結局、言わせておこう。30分の我慢ガマン)
「それからこの本の『配転のはじまり』もサラリーマン諸君には読んでほしいところだ。城山はこう書いている。『ピッチャが二度三度打たれ、監督が出てきて、ピッチャ交代を告げる・・・交代をさせられず、その後連打を浴びて、再起不能になってしまうよりは、はるかに適切かつ温情的な采配だ。企業の配転人事も同様ではないか…二度三度同じ問題を起こしたときに、降格させる。だがその後、当人がどうしているか、じっと見守っていると、西部の堤義明社長はいった。配転や降格によって、当人はわがこと終われりと落胆したかも知れないが、しかるべきトップたちは、むしろそれが新しいはじまりと見ているのだ。そこで絶望して、落ち込んでしまったり、やけになっては、そのときこそ、本当の終わりが来る』言わんとしていることは分かるわな。まあ、お前さんのことではないけれど、行政のプロだからあんばよう心掛けてチョー。この本は寄附しとくで回覧でもしてチョー」とモノジーは言いたいことだけ言って引き揚げた。
 残された課長氏は、モノジーが置いていった黄ばんだような文庫本を手にしながら、虫干し後にちょっと読んでみるかと思った。

注) ここで紹介した文庫本(打たれ強く生きる)は1989年に発行されたもので、現在ではすでに絶版となっているかも知れません。どうしても読みたいという方は無駄になるかも知れませんが、ひょっとして図書館に収蔵されている可能性はあります。なんせ34年前の本ですから。

  

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2023年06月21日

モノ申すオジサン物語

モノ申すオジサン物語パート1
「逆命利君」

 今回から、軽ちゃあ通信に新たなライターが登場します。どこにでもいるような方ですが、定年退職し、年金暮らしの自由人です。現役時は仕事に没頭し、地域のことにはとんと無関心でしたが、ほとんどの時間を地域で過ごすようになると、いろいろと気になることが出てきます。なぜかなという疑問から、行政に関心が出てきました。以後、行政との絡みがスタートします。

 市役所に出入りする人は、様々な用件を持っている。普通の市民は、それぞれの窓口で用を済ませ帰途に着く。弁当を持って市役所で一日過ごす市民はいないと思うが、近年の庁舎は市民開放されているので、特に暑い夏場は時間を過ごすにはもってこいの場所になっている。また、市のほうでも、ロシアによるウクライナ侵攻や原油・ガス不足に伴う電気料金やガス代の高騰のため、自宅のエアコンを節約する高齢者などの方に快適な公共施設でしのぐよう呼び掛けてもいる。
 いろいろな目的を持って、様々な人が庁舎に来るが、市に対し不平・不満がある人は、時間に関係なく来庁し「要求貫徹」を目指して頑張る。
 ここで紹介する「モノ申すオジサン」(略してモノジー)も市役所の常連であるが、一風変わっている。ちょっと見にはヤーサン風の角刈りで、年齢は60代後半から70代前半、正体がはっきりしないだけにちょっと不気味な一面がある。
 利益誘導型とは違った新しいタイプで、個人的要求をするわけでもない。非常勤職員みたいに時々自転車(レクサスやベンツでないので正直、職員はホッとしている)でやってきて、いきなり窓口に現れる。

「何でテキパキやれんのか」
 「オッス!」と言うや否や、カウンターの椅子に腰かけ、半日位しゃべりこんでいく。ムゲに断ると何をされるか分からないので、指名された課長氏は身の不運を呪いながら、言質を取られないように言葉を選び、できるだけ仕事の方向に話がいかないよう、ドラゴンズとか大谷などの話題に終始するよう誘導する。
 「ところでなあ。どうもハタから役所を見ているとイライラするんだ。やってることがまだるっこしいと言うか、かったるいと言うか、何でもっとテキパキできんのかと思っとる。今、こんな本を読んでいるんだ」とモノジーは、バッグから「逆命利君」(佐高信著 講談社文庫)を取り出した。

イエスイエスじゃイカン
 課長氏は、モノジーの真意がつかみ切れず、追い返すこともできないので、やんわりと「最初に申し上げておきますが、お時間は30分とさせていただきます。それから、乱暴な発言はご遠慮ください。場合によっては、録音したり、ビデオ撮影をさせていただきます・・・市の方針ですので、よろしくお願い・・・」と言ったところで、モノジーは「分かった、分かった。あんたらは不当要求のことを言っとるんだろ。そんなことはせーへんから、まあ話を聞きなはれ。30分しかおまえんのやろ」と、本について話し始めた。
 「この本の中に、こう書いてある。『命(めい)に従いて君を利する、之(これ)を順と為し、命に従いて君を病ましむる、之を諛(ゆ)と為し、命に逆らいて君を利する、之を忠と謂(い)い、命に逆らいて君を病ましむる、之を乱と謂う。逆命利君(ぎゃくめいりくん)は命に逆らいて君を利する、之を忠と謂う、を略した言葉である。何でもイエス・サーのイエスマンでは意味がない。命に逆らわざるを得ない場合には、逆らっても、あえて正しいと思うことを言う。このことは、立場を変えれば、部下から忠言を受けたら、きちんと傾聴しなければいけないということを意味している。(略)下から上にものが言えず、何でもイエス、イエスじゃ、コミュニケーションがダメになり、風通しが悪くなる』つまりなあ、イエスマンばかりじゃイカンということだ。このワシみたいに言いにくいことを言う奴が組織には必要というこっちゃ。まあ、アンタにこうせい言う気はないけれど、暇な時に読んだらどうだ」とモノジーは本をカウンターに置いたが、課長氏は丁寧に、そろそろお時間も参りましたので、貴重なお話をありがとうございました。本は検討しまして、必要なら、人事のほうで調整させていただきます。」と公務員一流の口舌で締めくくった。さすが課長氏であるが、モノジーはまだ言い足りなさそうな顔つきで、「コーシー行こか。一日中お前さんが職場に居たら、部下は仕事がやりにくくてしようがないだろう。たまにはお茶でも飲んで世間の風に当たってはどうか」とのたまうが、(余計なお世話だと思いながら)課長氏は「お誘いのお気持ちはありがたく頂戴しますが、職務専念義務や管理監督責任、市民対応など・・・」お断りの言葉がどんどん出てくる。モノジーは、さすが管理職は訓練をきちんと受け取るなと変に感心しつつ、「お邪魔虫は、これにて退散するわ。また来るでよ」
 今後、モノジーが行政にどう関わるのか、乞うご期待を。

注) ここで紹介した文庫本(逆命利君)は1993年に発行されたもので、現在ではすでに絶版となっているかも知れません。どうしても読みたいという方は無駄になるかも知れませんが、ひょっとして図書館に収蔵されている可能性はあります。なんせ30年前の本ですから。
  

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2023年06月17日

こじつけ先生処世術高座

こじつけ先生の処世術高座その4
「現代鳥獣戯画」

 組織や団体の世界には、様々な珍鳥、変獣というべきものがいる。現代の鳥獣たちを紹介しよう。

オレ蛾
 何かにつけて「おれが、オレが」とでしゃばる。とにかく権威を確認したがる。そして二言目には「オレは聞いていない」の連発。こんな上司を持つと部下も大変。汗をかくのは部下、手柄は上司に。上司に恥をかかせるものなら、十三日の金曜日に仏滅と三隣亡が重なった状態になる。
 仕事をしているときに「ちょっと待った、オレは聞いてない」とやられると、(もうコイツ、アホ、タワケ)と言いたくなるのをグッとこらえて丁重にお話をし、理解と協力を得ることになる。こんな時、決裁文書を持ち出して、「いやだなあ。ハンコ押されたでしょ。ほらここに」と言ってはいけない。火に油を注ぎ、オンチに拍手をし、政治家に献金をするようなものだ。こんな上司対策は、もうヨイショするしかない。ヨイショ、ヨイショをして都合の悪い仕事や厄を持っていってもらおう。

ヤッタ鷹(タカ)
 「あの仕事どうした?やったか」が口癖。もうこっちはてんてこ舞いなのにエラそうに呼び付けて「どうした。何でやらん」と言う。弁明は一切聞かず、命令一筋。
 仕事を掴んでいない上司には困ったものだ。もう少し部下が今どんな仕事をし、どこで悩み、苦しみ、つまずいているのかを状況把握してほしいものだ。何もふた時代前、昭和の青春ドラマのように、肩を抱き合い、涙を流し、苦しいが頑張れ、オレも頑張る、なんてやってほしいとは思わないが、部下との距離間をキチンと掴むべきだ。
 こんな上司対策は、一度大ゲンカすることだ。ほら歌にもあるでしょ。「♬見たか~聞いたか~あの啖呵(タンカ)~粋な小政の~♬」知らないの、この歌(旅姿三人姿)。一寸の虫にも五分の魂。ハチのひと刺しもあるでよ。

ヨッ鷹
 ヤッ鷹とは種類が違う。主に夜に活動し、酒が何よりの好み。若い頃は酒に溺れることがなかったが、年と共に酒の飲み方が意地汚くなり、トコトン酔いつぶれるまで飲んでしまう。
 ストレスがたまりがちな中間管理職に多い。

シブ珍
 おごられてもおごったことがない人。決して付き合いが悪いわけではないが、「合理的理由」がない限りムダ金は使わないというリッパな人。でも、管理職手当の一部は交際費でもあるから、生きた金の使い方をしてほしいものだ。

うぐいすもどき
 仕事の善し悪しはさておき、カラオケはピカ一。歌も仕事のうちと割り切って、カラオケ道に励む。年に数回の宴会後の二次会で披露されるだけだが、これはこれで存在価値のある人。ここ数年のコロナ禍で、カラオケは自粛していたが、本年5月8日以降の緩和措置により再び活躍の機会と思いつつも、どうも芳しくないようだ。

わたり鳥
 決して本人の責任ではないのに、一か所に定住できず、異動の度に替わる人がいる。異動の度に昇格すれば栄転で喜ばしいが、決してそうはならない。ギターを抱いた渡り鳥ならカッコイイが、昭和は遠くになりにけり。パソコンを抱えて異動するわたり鳥には悲哀を感じてしまう。
 でも、こういう人は絶対カローシせずに、無事定年まで勤めあげるでしょう。

ゴマスリ文鳥
 手乗り文鳥って何であんなに人になれるのでしょうか。人になれることで種の繁栄を図っているのでしょうか。ゴマスリ文鳥は、その上をいく種。とにかくヨイショが得意なので、食いはぐれることがない。出世もトントン拍子といった調子だが、知らず知らずのうちに疲労が重なり、やがて病休、休職、退職の道を歩むことになる。ヨイショもほどほどに。

温泉ザル
 温泉が好きなサルのことではない。ゆ(湯)―だけで行動が伴わない人のこと。国際情勢、経済、政治など、ゆうだけあってなかなかの理論家だ。しかし、有言不実行では人望もなく、なんとなく周りから疎んじられている。ひと頃、口先男(女)あるいは口だけ男(女)といわれていた種。

セッキョ馬
 「まあ、ここに座れ」と言ってクドクド説教する人っていますよね。いわゆる説教魔。何かにつけて一言いわないと気がすまない。一番困るのは同じことを何度も何度も繰り返して言うこと。「それ、さっき聞きました」と言うと、理解の仕方が悪いと言って、これまた同じことを繰り返す。説教するのもされるのも給料の内か。

ハンコ牛
 どっしりしていかにも貫禄ありそう。昔は「風格は いつも課長と 間違われ」とよく言われたものだが、いざ課長になった途端、特にする仕事もなく、日当たりのいい窓際で日がな一日、口をモグモグさせながらハンコ押しの毎日。ごくろうさまです。

コッテ牛
 言い出したらテコでも動かない、まさに信念の人。と言えばカッコイイが、要するに我を張るだけの人。昔、尾張地方にはよく見られたが、最近は絶滅危惧種みたいで、この種の人は少ない。おとなしくなって、論戦することを避けているようだ。出でよ!令和のコッテ牛

園長
 鳥獣たちを管理する園長は、並みの人では勤まらない。アメとムチを使い分けて、という手は古い。ふれあいとまごころを持って平常心で臨むというリーダーの方針の下で、鳥獣たちは元気に過ごしている。

 一度、鳥獣たちを見学したいものだが、残念ながら受け入れていただけないようです。

これも昭和の時代のお話ですが、いずれの鳥獣たちも絶滅危惧種のようです。生き延びることが難しかった「失われた30年」の管理社会。多様性ある社会を目指すためには、絶滅危惧種のような個性的な人材の奮闘を期待したい。ではまたお会いしましょう。バイバイピー
  

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2023年06月12日

こじつけ先生処世術高座

こじつけ先生の処世術高座その3
独裁者は『はだかの王様』

「はだかの王様」という童話は皆さん、ご存知のことと思います。昨年の2月以降のロシアによるウクライナ侵攻の動きを見ていると、この童話を思い起こします。
 この童話の面白さは、人々への暗示です。
 二人の仕立て屋は
 ・頭の悪い人には見えない。
 ・欲の深い人には見えない。
 ・心の冷たい人には見えない。
と言って、人々に暗示をかけます。王様も大臣もお付きの人も、そして民衆も、自分が「頭が悪く、欲が深く、心が冷たい」と思われたくないために。見えないものを見えたといいますが、純粋な子どもの心は正直です。真実には勝てません。

真実を見つめる
激動のウクライナ情勢を見るとき、忘れてはいけないものがかつての東欧の動向です。1990年代以前の東欧を見ると、長年の人権抑圧、経済統制による物不足、慢性的な物価上昇、累積対外債務の増大など、誰もがこのままではいけないと思いつつも、それを一度口に出したり、行動しようものなら、処刑されるかもしれないのだから、民衆は黙々と耐え、独裁者の言いなりになっていました。
 独裁者は「はだかの王様」、そして真実から目をそらせていたことに気付いたとき、ペレストロイカや民族独立などの改革が始まり、ベルリンの壁の崩壊、ソ連邦崩壊、民族国家への独立が急速に進みました。このときの民衆の目の輝きが未来を明るく照らすものと期待されていました。改革の前に、マスコミのインタビューに「ダメ、ダメ」と応じようとしなかった人々が、改革後はわんさと寄ってきて一斉に口を開き、話しかける姿を見て、あの暗い自我を押し殺したような表情はどこにも見当たらず、したたかに生活する民衆の力に驚きを感じたものでした。
 ところがその一方で、旧ソ連邦の復活、巨大なロシア連邦を目指す萌芽が生まれていました。ウラジーミル・プーチンの登場です。KGB出身の恐るべき人物がその後、政界に進出し、副大統領を経て、大統領に上りつめたのです。ロシア国内において、独裁者の地位を確立したのです。情報統制と政治的行動への圧政で、民衆はまたしても「頭が悪く、欲が深く、心が冷たい」と思われたくないために、見るべき真実から目をそむけ、独裁者に国家の未来を託したのです。

独裁は心に住む
「はだかの王様」はどの社会にも存在します。その存在を許すのは、人々が真実から目をそらせたときです。例えば、企業の社長が独裁的になるのも、周りの人たちがキチンと物を言わなかったり、社長が気に入る情報しか伝えなかったりしたときでしょう。
 みんなに支持されて選ばれた長であっても、取り巻きの口の良いことばかりを受け入れたり、視野を広く持たなかったりすると、コツコツ働く人が自分を支えていることを忘れがちになります。
 誰もが独裁を目指そうと思ってなるものではなく、独裁はその人の心が狭く冷たくなったとき、その人の心に住むものです。
 いかなる社会であっても、「人を大切にする」という姿勢が重要ではないでしょうか。
 本日の高座は、これにて終了です。また、お会いしましょう。バイバイピー
  

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2023年06月08日

こじつけ先生処世術高座

こじつけ先生の処世術高座その2
「行政の法則」


 こじつけ先生は、ある市役所の公務員でしたので、その経験から「行政の法則」を編み出しました。と言っても、ほとんどが自身の経験に基づくものです。どうぞ、ご笑覧あれ。

仕事編
・文書は、いつも同じところを間違える。
・間違える原因は、たいていコピペである。
・細かい間違いほど発見されやすい。
・大きな間違いほど発見されにくい。
・一口で言えることも、非常に複雑に表現する。
・役人は、お互いに仕事を作り合う。
・今日できない仕事は、明日もできない。
・仕事と給料は、比例しない。
・仕事は、ヒマな人に頼まず、忙しい人に頼め。
・物事をなすには、次の三種類がある。
① 自分でする。
② 誰かがする。
③ 誰もしない。
・仕事と紙の消費量(あるいはデータ消費量)は比例しない。
・「トップの意向ですが」と言えば、無条件でとおる。
・責任転嫁が先で、仕事は後回し。
・命令が多いほど、仕事は失敗する。
・命令がないと、仕事は進まない。
・意識、無意識の違いはあっても、誰でも法令や条例違反を犯し、逮捕される可能性がある。
・仕事の主観的評価はできても、客観的評価はできない。
・勤務時間の60%は仕事に費やされ、残りは何となく過ぎている。
・難しい仕事は、先に延ばされ、忘れられる。
・会議は、必ず定時に終わる。
・データとして保存してある文書は見ることがない。しかし、消去すると必要となる。
・組織で増えるものは、予算と人とゴミである。
・面倒な仕事は、定時直前にやってくる。
・歳入も歳出も競争しあって増えていく。
・住民には弱いが、市民には強い。
・パソコンを開けば、仕事していることになる。
・机の上の書類は減ることがない。
・机の上に書類があふれても、プライベートの写真はどこかにある。
・デスクのプライベートの引き出しには、必ずモグモグタイム用のお菓子がある。

人編
・モテない男は、何をしてもモテない。
・出る杭は打たれる。
・出過ぎた杭は抜かれる。
・忙しい人は、いつも忙しい。ヒマな人は、ヒマつぶしで忙しい。
・遅刻する人は、いつも遅刻する。
・近い人が遅刻する。
・ヒソヒソ話は信じやすい。
・酒飲みの口調は「ちょっと一杯」
・「ちょっと」だけの一杯はあり得ない。
・公務員は、病休予備軍である。
・組織の長は、会議に出席したり、書類にハンコを押す仕事しかない。しかし、ハンコ不要や電子処理により、その存在感はなくなりつつある。
・権力者から人が小さく見え、人から権力者が大きく見えるような組織は、先が明るくない。
・権力者は、大物ほどからかわれても動じない。
・タバコを止めるのは簡単だが、再び始めるのはもっと簡単である。

その他編
・机の引き出しの中で増えるものは、家に持って帰れない写真である。
・硬貨は落ちると取りにくいところへ転がっていく。
・競馬で負けたら、パチンコでも負ける。逆もまた真なり。
・金持ちは本命を買う。貧乏人は大穴を狙う。

以上、こじつけ先生が地方公務員時代の体験から編み出した「行政の法則」ですが、万人に適用されるとは限りません。念のために申し添えておきます。では、次回の高座でお会いしましょう。バイバイ ピ~
  

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2023年06月03日

源さんの夢

源さんの夢パート3
「源さん 主夫になる!?」

 2020年以降のコロナ禍、2023年5月8日以降は、新型コロナウイルスの感染症上の扱いがインフルエンザと同じようになりました。しかし、ウイルスが消滅したわけではないので、感染の恐れは常にあります。感染予防は、個々の判断とされていますが、感染状況の発表が週1回なので、どのようになっているのか分からず、不安な状態にもあります。マスクの着用も個々の判断とかで、外出の際、人の動向を気にしながらの着用のようです。ここにも日本人らしさが出ているようです。いわゆる横並び同調圧でしょうか。
 さて、源さんは、家内の買い物には無頓着でしたが、2020年以降は買い物に随行しています。理由は定かではありませんが、家にいる時間が長くなり、テレビ相手にブツブツ言う源さんを見て、(この人、このままでは確実にボケると思った)妻が源さんを引っ張り出したというのが、本当のところでしょう。では、その様子をみましょう。

 買い物の行き先は、いつものショッピングセンターで、源さんの役割はカート押しです。奥さんが商品を選び、源さんが受け取ってカートのカゴに入れるだけのことですが、源さんに言わせれば、雑多に入れるか、きちんと入れるかで、その人の生きてきた人生が分かるとか。そんな大層なことではないのに拘ります。重量のあるものは下に入れて、軽いものやつぶれそうになる商品は上に置くということですが、奥さんはそんなことは無頓着で、重かろうが軽かろうが選んだ商品をポンポンと源さんに渡します。受け取った源さんは、その都度、かごの中の商品を上へ下へと置き換えます。傍から見てると、滑稽に見えますが、源さんは必至で作業をします。この頃、やっと源さんも学習し、奥さんの買い物のルートや商品を選ぶ順番が分かるようになり、少し余裕が出てきたようです。そこで、源さんの次の関心事は、人間観察です。源さんに言わせると、「最近、夫婦で買い物に来ている人が多くなったね。ありゃ見ていると面白いよ。いろんなパターンがあるからね。」と教えてくれました。そのパターンとは。
コガモ型
親ガモ(妻)の後を忠実についていき、商品をカートに納めます。可もなく不可もない普通のタイプ

夫唱婦随型
夫唱婦随タイプは最近、あまり見かけません。買い物に限って言えば、婦唱夫随が一般的ですが、夫が商品を指差し、妻が商品を取ってカートに入れて押すタイプで、財布はがっちり夫が握っています。

監視型
妻が最も嫌がるタイプで、何を買うのか、高くないのかなどいちいち監視する。

無頓着型
俺たちは夫婦じゃないぜというかのように、お互いに知らん顔しつつも、付かず離れずに買い物をするタイプ。そんなに無理をしなくてもいいのにね。

議論型
商品の前で必ず手に取り、新鮮かどうか、消費期限はどうかなど夫婦で議論する。後ろで待っている人を気にせずに納得いくまで話し合って決めるタイプで、ほほえましいと言えるけれど、はた迷惑なタイプでもある。

評論家型
妻が選んだ商品の価格や新鮮度、他店との比較など評論しながらの買い物。監視型と議論型をミックスしたタイプ。

クルクル型
 夫は店内でカートを押しながら、妻が商品を取るのを待っているが、辺りを見回し、買い物客がいないのを確認してから、カートをクルクル回して遊ぶ。まるで子どものようである。それを見て、親指を立ててメッと夫をにらみ、何事かを言う妻。多分、(ナニ子どもみたいなことをしてるのよ。恥ずかしいったらないわ)と言っているのだろう。店内だから、それ以上のことに発展しないが、恐らく、帰宅後に何か起こりそうな気配がしている。無事に終わることを祈る。

宅配型
買い物には一緒に行くものの、買い物は妻任せで、自分は書店や100均を回り、買い物袋を車まで運ぶタイプ。妻にしてみれば、気兼ねなく買い物ができ、重い買い物袋は夫任せで、いわば宅配タイプです。

 源さん、お得意の人間観察論を聞かせていただいたが、「ところで、源さんはどのタイプ?」と問われ、周りを見渡して「えっ、妻がいない」と動揺しています。どうも、源さんは、置いてけ堀のようで、タイプとしては、昼行燈型(いてもいなくても影響なし)のようです。ではまたお会いしましょう。ヤッホー
  

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