QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。 解除は→こちら
現在の読者数 0人
プロフィール
mc1397

2023年06月28日

モノ申すオジサン物語

モノ申すオジサン物語パート2
「打たれ強く生きる」

モノ申すオジサンは、こころ旅の火野正平のごとく、今日もチャリオ君に乗って″非常勤出勤″。一説によると、定年でヒマを持て余し、時間つぶしに役所に出入りしているという説、いや正体は不動産業で何かオイシイ話はないかと情報を探りに来ている説など様々な風説。誰もその正体は分からないものの、実態は大卒で現役当時、バリバリ仕事をしていたサラリーマンが定年後、地域で時間を過ごす中、近所や町内との付き合いを通じて、様々な問題や課題があることに気付き、その解決策は行政にあり!と、一肌脱ぐつもりで行政(つまり役所)に出入りするようになったそうです。

例によって、ある課長氏の窓口へ。
「ヨッどうした。顔色が悪いぞ」
(顔色が悪いのはアンタが来たからだ)と課長氏は心に思いながら「やあ、いらっしゃい」。
「三枝の『新婚さんいらっしゃい』じゃあるまいし。三枝は世代交代で、異動というか、転進というか、交代したわな。もうチット気の利いたあいさつは言えんもんかね」とモノジーは言いつつ、窓口の椅子にドカッと座った。

 課長氏は嫌な顔をせずに、先だっても申し上げたとおり「面談は30分でお願いします。それ以上なると、不当要求に・・・」。
「分かった、分かった・そんなことせぇえんわ。安心しい。ところでな、職員で健康なのは二割だけだって聞いたが、お前さんは大丈夫か。最近の課長さんは昔と違って大変だってね。定年退職した、元インテリの連中が苦情や文句を言いに来てるんじゃないの」とモノジーは、自分のことは差し置いて、持論を展開し始める。

打たれ強く生きる
「昔は、課長と言やあ家長に通じて、そりゃあ権威は高かったもんよ。それが今は何だ。中間管理職化して、上からはああだ、こうだと言われるし、下の者は思うように動かんしなあ。毎日、胃の痛む日々だろう。しかしなぁ、そんなふうではチャットGDPとか生成AIが幅をきかす時代とやらについていけんわな。そう思って、今日はそんなお前さんのために勇気が出る本を持ってやってきたぞ」とバッグからポットと本を取り出した。
「そのポットはなんですか」と課長氏。
「まあ、いいからいいから。もう10時だ。お茶の時間だから、ここでコーシータイムだ。オレらみたいな定年退職者は、そうそう喫茶店でぜいたくもできねぇしな」とモノジーは、ポットのコーヒを、持参のティーカップに入れようとしたので、課長氏はあわてて「カウンターで飲食はダメですよ。飲むなら、1階のラウンジでお願いしますよ」と言うと、モノジーは「職員の皆さんは、熱中症対策でペットボトルをデスクで飲むのとちゃうの。それと同じよ。それとも市民はいかんと言うと、これは差別だぜ。と言いたいところだが、今日は、ペット論議で来たのとはちゃうので、アンタの顔を立てて飲むのは止めとくわ。ほらこれだ」とモノジーは、課長氏にやや黄ばんだような文庫本を渡した。昭和の時代に発行された文庫本。見たところ30年くらい前の本のようだ。
「城山三郎の『打たれ強く生きる』という文庫だ。この本の心掛け一代というところだ。城山が元NHKの鈴木アナウンサーに記憶力バツグンの秘訣を尋ねるところだ。ちょっと読むと『記憶しないと食って行けない。記憶することにくらしがかかっているのだと、昔から自分に言い聞かせてきましたので、ただ、それだけのことなんです。つまり、一にも二にも、プロとしての心掛けの問題なのだ。プロの碁打ちが無数の定石をおぼえこむのも、やはり、記憶、それにくらしがかかっているからではないか、というのだ。一にも二にも心掛け、心の在りようひとつ。それが積もれば、すさまじいほどの戦力になる』・・・いい言葉だろう」

配転は新しいはじまり
 モノジーの説明はまだ続く。(課長氏はこの局面をいかに凌ぐかを考えたが、結局、言わせておこう。30分の我慢ガマン)
「それからこの本の『配転のはじまり』もサラリーマン諸君には読んでほしいところだ。城山はこう書いている。『ピッチャが二度三度打たれ、監督が出てきて、ピッチャ交代を告げる・・・交代をさせられず、その後連打を浴びて、再起不能になってしまうよりは、はるかに適切かつ温情的な采配だ。企業の配転人事も同様ではないか…二度三度同じ問題を起こしたときに、降格させる。だがその後、当人がどうしているか、じっと見守っていると、西部の堤義明社長はいった。配転や降格によって、当人はわがこと終われりと落胆したかも知れないが、しかるべきトップたちは、むしろそれが新しいはじまりと見ているのだ。そこで絶望して、落ち込んでしまったり、やけになっては、そのときこそ、本当の終わりが来る』言わんとしていることは分かるわな。まあ、お前さんのことではないけれど、行政のプロだからあんばよう心掛けてチョー。この本は寄附しとくで回覧でもしてチョー」とモノジーは言いたいことだけ言って引き揚げた。
 残された課長氏は、モノジーが置いていった黄ばんだような文庫本を手にしながら、虫干し後にちょっと読んでみるかと思った。

注) ここで紹介した文庫本(打たれ強く生きる)は1989年に発行されたもので、現在ではすでに絶版となっているかも知れません。どうしても読みたいという方は無駄になるかも知れませんが、ひょっとして図書館に収蔵されている可能性はあります。なんせ34年前の本ですから。



この記事へのトラックバックURL