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mc1397

2023年10月02日

こじつけ先生処世術高座

こじつけ先生の処世術高座その30
村田兆治に学ぶ
 逆境を乗り切る

  大リーグ、エンジェルスの大谷選手が日本人初のアメリカンリーグの本塁打王に輝いた。大谷選手は今季、44本の本塁打、打率.304、95打点、20盗塁、投手として10勝5敗、防御率3.14、167奪三振で、ベーブ・ルースも成しえなかった史上初の2年連続10勝&30HRの成績で今季を終えた。多分、リーグでのMVPの栄冠があるだろうとのことです。
  大谷選手は終盤で左肘じん帯損傷のため、手術をしたとのことで、手術の内容はまだ明らかではないけれど、大谷自身はSNSで「手術は成功」と公にしている。今後の去就は、手術執刀医の話では、打撃だけなら来シーズンからできるが、投手としては2025年のシーズンとのことらしい。健康な姿で活躍してほしいと思う。この報道を聞いて、思い出したのが、昨年11月、物故者となられた村田兆治さんのことです。
  村田さんはプロ野球でマサカリ投法、昭和生まれの明治男、ストレートで勝負する男などの数々の異名をもったロッテオリオンズの投手でした。1990(平成2)年、40歳で引退した。最後の登板となった西武戦では、140kmを超えるスピードボールを投げ、まだやれるじゃないかというファンの声を尻目に身を引いた。
  村田は言う。「あと2~3年はやれる自信はあるが、自分のイメージどおりの投球ができなくなったから」。215勝177敗そして暴投148という数字が村田のすべてを物語っている。村田を語るとき、忘れてならないことは奇跡の復活を遂げたということ。
  1982(昭和57)年5月、投手の宿命ともいうべき右肘を痛め、腱移植手術を行った。一度体にメスを入れた投手は再起できないというジンクスに挑戦した。米国での手術、リハビリ・・・と3年間、地獄の日々が続いた。そして1985(昭和60)年4月、再びマウンドに立った。村田は団塊の世代のエースでもあった。40歳まで現役であった村田は人に言えないような努力と精進を重ね、自らを叱咤激励していたに違いない。
  ビジネスの世界では失敗や挫折がつきもの。どういう心構えで乗り切るかでその人の真価が問われる。
  逆境に立たされても、それを乗り越える強い心を持ちたいものだ。
  冒頭の大谷選手に話を戻すが、大谷は以前に右肘のじん帯にトミー・ジョンという手術を受け、2年余のリハビリを経て、二刀流を完成させ、ベーブ・ルース以来と言われる100年に一度の選手として再起した経験があるので、今回の二度目の手術、その後のリハビリについても乗り切り、さらに大きくなって再々登板の姿を見せてくれるものと期待したい。

 こじつけ先生は子どもの頃、道路の三角ベースで遊んだ経験があるくらいで、野球については素人だが、なぜか大谷選手には惹きつけられている。テレビでの放映は欠かさず観戦しているので、他人事とは思えないそうだ。ではまたバイバイキ~ン
  

Posted by mc1397 at 10:40Comments(0)TrackBack(0)